舞踏会の幽霊

FSSの小説
2989/ブルーノ、仮面の男/ラルゴ×ブルーノ前提、帰還後の話。


 
 
 
 
 
ジュノーから帰還してひと月ほど経ち、ブルーノは城の隅で居場所のない日々を送っていた。
ラルゴを失い、バーバリュースも修行の旅に出て不在、惨めに生き残った今の彼に城で味方してくれる者はいなかった。
だから今日もシルチス騎士という身分にも関わらず、宮廷で開かれる仮面舞踏会の給仕の仕事を押し付けられていた。
小間使い用の地味な制服に身を包み黒い長髪を整えたブルーノは、荘厳な宮殿のどこに置いても自然に溶け込む、目立たない陶器のような美しさで、給仕をやるはめになったのはその容姿のせいでもあった。しかし今の彼の心中は見た目とは裏腹にどんよりと鈍い色に沈んでいる。
 
惨めな状況に置かれているのに、よりによって仮面舞踏会というお祭り騒ぎの空気の中に身を置かないといけないなんて。しかも通常勤務の後に夜通し続く会の給仕、覆面のSPといえばまだ聞こえはいいが、要は立ちっぱなしの雑用係だ。シルチス騎士にまで登り詰めて徹夜でやる仕事が貴族の召使いか、これじゃファティマ以下だ。置かれた立場のどこを切り取っても気が滅入る。けれど仕事なのでしょうがない。生きているので、しょうがない。ブルーノは控え室を出て会場のホールに向かった。
 
 
数時間後。すっかり夜は更けて、飾り立てた仮装の衣装を丁度いい具合に引き立てるほの暗い照明の下、仮面の貴族たちがそれぞれの夜を楽しんでいた。シャンパンのグラスを載せたトレイを持ってその隙間を歩くブルーノはすでに疲れ果てていたが、そんな彼を気にかける者は一人もいない。はやく帰ってベッドに倒れ込みたい、と小さくため息をついたその時、一人の長身の男がブルーノに声をかけた。
 
「シャンパンを頂けるかな?」
 
ブルーノは慌てて顔を上げトレーをその男に差し出す…が、寸での所でトレーを取り落とすところだった。全身を覆う怪し気な赤いマント、大きな軍帽の耳から後ろはケープ状の覆いで囲まれ、その中には顔半分を隠す不気味な仮面。ブルーノには見覚えがあるどころか、決して忘れられない姿がそこに在った。
そう、今目の前にいるのはブーレイ騎士団の『赤の頭』ラルゴの姿だ。
仮面をつけてはいるが、その特徴ある鼻筋と顎のラインは死んだはずのラルゴにそっくりで、ブルーノは思わずその名を叫びそうになった。叫ぼうと息を吸い込んだまま、吐き出せずに呆然としているブルーノの手からトレーが奪われる。男はそのトレーを近くのテーブルに置き、右手にグラスをふたつ、左手でブルーノの手を取り、黙ったままバルコニーへと出る大きなガラス戸へ向かった。部屋の中心では派手好きの貴族共がはしゃいで人々の注目を集めていて、二人がバルコニーに消えてゆくのを気にする者は誰もいなかった。
 
 
その男は月明かりの下でブルーノにグラスを手渡すと、黙ったままカチン、と勝手に乾杯してようやく口を開いた。
 
「大変だね、こんな時間までこき使われて」
「……い、いえ…仕事…ですので」
 
ブルーノはそう返すのが精一杯だった。声まで似ている。まさか、まさかと口の中で繰り返しながら、その胸に飛び込みたくなる衝動を耐える。よく見るとマントの襟の隙間から覗いている王家のネックレスまで本物なのだ。その男が次に口にした言葉はブルーノの心臓を果実のように絞った。
 
「おまえをこんな目にあわせるつもりはなかった」
「毎日辛い思いをさせる事になってしまって、悪かったね」
 
男は静かな、しかし思いの詰まった声でそう言うと、ブルーノの髪を優しく撫でた。
 
「いえ、いいえ……」
 
そして、何と言えばいい?ブルーノにはわからない。『お守りできずに、ご一緒もできずに、申し訳ありませんでした』という言葉が喉まで出かかってつかえている。替わりに涙が溢れてくる。
 
男は黙って立ち尽くしているブルーノの肩を優しく抱き締めるとそっと額にキスをして、いつも見守っているよ、と言い残し、またパーティーの喧噪の中に消えていった。残されたブルーノの、口をつけないままのグラスの中に何粒も涙が落ちて、薄い金色をした小さい無数の泡を揺らした。
 
 
 
 
 
何も言えなかったのは、その男の正体の見当がつくからだ。ブルーノにだけわかる記号をすべて駆使して、わたしは彼だ、と主張していた、その正体が。そんな事をできるのは一人しかいない。
 
あの方だってラルゴ様を失ってお辛いのだ、その立場を考えれば自分以上に。だからこれ以上泣き言を聞かせるわけにはいかない。
 
それに、もし『お守りできずに、ご一緒もできずに、申し訳ありませんでした』と、そう言ってしまったら、それは今日までの忍耐を全て殺す引き金になり、続けて『できることなら今からでも、すぐにあなたのところに行きたい』と言ってしまっていただろう。そんな言葉、余計に聞かせるわけにはいかない。
 
なんてひどいことをするんだろう。あなたが死ぬなと言ったから沈めたのに、こんなふうに掻き回して浮かび上がらせて、中途半端な浅瀬で座礁させ、そして助けてはくれないのだ。
でも、でも。こんなにひどいことなのに、その憤りをも押しのけて嬉しいだなんて、どれだけわたしの心は疲弊して鈍っているんだろう。例え嘘でも幻でも、わたしは今見せられたものに縋らずにはいられない。
 
 
 
ブルーノがなんとか泣き止んで会場に戻ると、もう二度とその人の姿を見る事はなかった。猥雑なパーティーの喧噪に再び包まれると、さっきの出来事は夢でもおかしくないような気になる。
だったらもう、今のは夢にしておこう。言えなかった言葉も言ってしまったことにして、いつも見守っているよ、その言葉も口づけも本物にしてしまって。信じれば、夢でも心の支えになるかもしれない、とブルーノは再び顔を上げて、そのまま仕事に戻った。
 
 
 
 
 
 
控え室になっている客室の中の、一番奥の部屋で男は変装を解いた。
結局自己満足にしかなっていない、ただ徒らにブルーノの心をかき乱してしまっただけな気がする。それでも、男は自分が知っていて、ブルーノが知らないであろう事をどうしても伝えたかった。
 
いつも見守っている。
 
あのプライドの高い尊大な男が、時折ブルーノの話をする時だけその目尻を下げて、あいつが可愛くてしょうがないんだ、と隠し立てもせず言っていた。レーダーを名乗れる王族で頭も切れる、そして強力な騎士の彼だ、財産も地位も権力も、上から与えられずとも全部自分で手に入れていた。
仮面を脱いだ男には今でも忘れられない、そんな彼が一度だけ自分に欲しいものがある、とねだった言葉を。
 
「陛下、わたしはブルーノの命が欲しい。奴はシルチスの騎士だから、その命は陛下のものだ。でもどうしても欲しい」
「…自分のものにして、何に使うんだね」
「わたしの隣で生かしておきます」
 
『陛下』は、それじゃあとその場で与えてやった。彼がブーレイ騎士団を率いてジュノーに出陣する前日の事だった。ブルーノを生かしている事は裏切りなのか、いや彼の意思を継ぐ事なのか?彼はもし選べたとしたらどうしただろうか。ブルーノも連れていくか、それとも一人で旅立つか。男にはわからなかった。わからないから『陛下』として計算して、そうしておくべきだ、と思った方にするしかなかった。
 
ブルーノはそれを知らない。自分の命が『陛下』ではなく、彼のものだと知らない。それは誰も相続しておらず、もう永久に死者となった彼の名義のままだ。そして、自分の隣で生かしておく、と言った彼の思い。そのふたつをどう表せばよいか、考えた末の言葉だった。
いつも見守っている。
もちろん騙せたなんて思っちゃいない。しかしどうしても彼の姿で伝えなければならない事だった。自分は『陛下』だから、その姿で言うことはブルーノにとってはすべて『陛下の言葉』になってしまう。『陛下』の言う、ラルゴもきっとお前を見守っているであろう、とかいうような他人事めいた言葉なんて、なんの価値もないのだ。
 
おまえたちの、わしも与り知らぬところの、二人きりの世界。
せめてその世界の中の言葉として、伝わっていてくれたら。世間に疎い年寄りにはこんな拙いやり方でしかできなかったが、と外した仮面を眺めながら、夜会の喧噪を遠くに置き去りにして男は願った。
 
 
 
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